私は2020年の9月11日から、毎日自分の声を録音している。
可能な限り長い期間、できれば一生涯これを続けることが、私の願いである。
録音された音声は、逐次このウェブサイトにアップロードされ、聴くことができる。
録音の手順
(注1) 2021年4月20日変更。それ以前は、Aの音叉を耳に当て、その音高に合わせて発声していた。つまり声の音高は110ヘルツ前後に統一されていた。
(注2) 2022年3月30日変更。それ以前は「新しく録音する母音の音高は、最後に録音した母音の音高に合わせる。」としていた。ただし2022年3月30日の時点で、録音を忘れた日はなかった。
なぜ録音するのか
自分の声を毎日録音しようと思った
監獄に入れられたり、お金や家がなくなったり、声帯を切除されたり、電気が使用できなくなるような状況にならない限りは、一生続けられる
声は変わってゆくだろう、私を取り巻く環境も変わってゆくだろう、変わらないものもあるのだろう
音の記録をとればその変化のさまがわかるようになるかもしれない
録音データはこのwebサイトで聴くことができる
重ねて再生してドローンにしてもいい
初期の録音術は死に取り憑かれていた
死体から摘出した聴覚器官を機械に接合し、ラッパ型の器具に息を吹き込んだ人々は、人間の死後に残された虚ろな声に戦慄した
私が死ぬまで毎日自分の声を録音し、このwebサイトにアップロードするか、スピーカーを置いてどこか実空間で連続再生するか、何であれ人の目や耳の届くところにそれを置いておくことができたとしたら、その録音の総尺は私の生きた時間の総体と等しくはないにしても、私は録音された声の連なりとともに生き、声の終わりとともに死んだということになるだろう
私が消えたらサーバーの更新手続きは誰がするのか
そのときはそのときだ
自分の声を標本化(サンプリング)し続けるというおこないは、誰でもできることだが、改めて意識化すると気味が悪い
フォノトグラフに装着された人間の耳骨を思い起こす
ひとは容易に標本になる
情報にもゴミにもなる
「音楽は空中に消え、二度と取り戻せない」というエリック・ドルフィーの声は、《Last Date》のB面で永遠に繰り返される
「接(つ)」がれた声は、言葉のうえでは、声を発した「私」の同一性を保証するかのように響くかもしれないが、本当のところはどうか
録り続けなければわからない
が、とまれ、私の関心は、ある「私」の永続性などではないと思う
新しい声が重なり、音の持続が延長されるごとに、それらの声の総体は、総体として、異なるものへと変化してゆくのではないだろうか
それは聴くことができるものなのか
私は自分の声が途切れる時を想像する
私は毎朝声を録るが、自分の声の「終わり」を知らない
しかし、あなたはすで聴いているかもしれない
こんにちは、ごきげんよう
生きている私にとって、この計画は永遠に未完成というべきなのか
それとも、今朝録音した声と明日録音するかもしれない声との間で、計画はとりあえず完成しており、私はとりあえず死んでいることになるのか
2021年5月
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林暢彦 (誉田千尋)
1992年生まれ。音響作家。
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